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「境界線」について考える

こんにちは、arrowです。
このブログサイト『ぺんくり』は、「映像×メディア〜映像がヒトの心を変える瞬間に出会う場所」がテーマなので、
いつも「映像」にまつわる文章を書いているわけですが、、、

一口に「映像」と言っても、映画、テレビ、アニメ、CM、MVなど、、、その
ジャンルは本当に多種多様である、という話は第一回目(『「映像」をめぐる旅のはじまり』のブログに既に書いたと思います。

将来映像制作に携わりたいと思っているあなたが、映像のどの分野に進もうとしているかは分かりませんが、
例えばいま映画をやりたいと思っていたとしても、
最初はあまりそれにこだわり過ぎない方がいいです。

とにかく、色々なことをやるべきだ。
「境界線」を消せ。

今日はそんなことについて少し書いてみますね。

「境界線」を引く人

私はいま現在フリーの立場で映像制作を行っているので、
メインの映画やMV撮影の他にも、本当に色々な仕事を請け負っています。

CMや企業VP制作、ライブ撮影、舞台(演劇、ミュージカルなど)撮影、
サプライズプロポーズ(フラッシュモブ)の撮影、結婚式の余興映像制作、
最近だととある芸術家の方が個展で流す映像制作をお手伝いしたりもしました。

ある人と飲みに行った時のお話です。

その人は映画の助監督をやっているのですが、
私がやっている仕事の内容を聞くと眉をひそめ
(聞かれたから答えただけですよ。念のため)、

「何がしたいのか分からない」
「俺は人間の感情にしか興味ないし、芝居(映画)しか撮りたくない」

とふんぞり返って言いました。

「感情」なんていう曖昧なものが本当に「カメラ」に映るのかよ、
という話は またいつかじっくり書くとして、、、

映像業界に限らずともこういう人、結構多いと思います。

「映画しか撮りたくない」というのならその信念に従って黙々と遂行すれば良いものを、そこまでの自信はないからなのか何なのか、

単にフリーという立場に嫉妬?してか
(大変ですよ、フリーも。制作会社勤務や助監督に負けず劣らず大変です。仕事は自分で貰ってくるしかない、貰えなければその月は食べていけない。貰ったとしても、あらゆる準備を自分ひとりでやらなくてはならない。何の保証も保障もない、、、と、不幸自慢してもはじまりませんね。そもそも比べること自体が馬鹿げているのです)、
相手を否定しながら自分こそ正義だとその考えを押しつけてくる人。

それがものごとに「境界線」を引く人、です。

「境界線」を消す人

「これとは、こういうものだ」
「これは、こうでなくてはならない」

誰が引いたか、そんな「境界線」がこの世界には溢れています。

「映画とは人間を描くものだ」
「人間を描くためには、映画しか撮ってはならない」
という彼の考え方がまさしくそれです。

だけど映画の、映像の、いや全てのものづくりの本当の役割は、
そうした世界中の決めつけられたこと、
ルール、固定観念、古いしきたり、

「境界線」を、ひとつずつ消していくこと、
あるいは踏み越えていくことではないでしょうか。

映画をはじめたばかりの頃、
確かに私も「映画は人間を描くものだ!」と息巻いていた時期がありました。

でも、色々なことを学んでいくうちに、確かに人間「も」描くかもしれない
(「人はシネマトグラフ=カメラを手にした瞬間から、人を撮った」第2回『世界初の「映像作品」』)けれど、それだけではないことを学びました(「家のなかや通学路など、いつも見慣れた何気ない景色も、映像や写真にしてみるとまるで知らない場所に思えてくる」第7回『「映像」のこわい話〜「身体の知覚」と「機械の知覚」』

そして、そうした学びはいつも、不思議と撮影以外の何気ない日常のなかや、
映画以外の撮影の時、
それこそLIVEだったり舞台だったり結婚式だったりを撮っている時に、ふと、おりてきたりするものなのです。

世界的に有名な映画監督の黒沢清さんが、スピルバーグの映画『リンカーン』の大事な場面にいつもリンカーン大統領が映っていないことを引き合いに出し、

「不在によって存在できるのが映画」
「映画は人間など相手にしていない」

と言っていたのも非常に興味深いと思いました。
映画の可能性をどこまでも広げてくれる、まさに「境界線」を消すような発言だと思います。

「映像」はこの世界そのもの。だから、

私が「映像」はすごいと思うのは、この世界に「映像」と無関係なものは一つもないからです。
この世界は「映像」そのものと言っても過言ではありません。
カメラは身体の知覚を超えた機械の知覚として、情報を取捨選択せず、
文字通り全てを映します。

どんなものでも、もしかしたら我々の目には見えていない「幽霊」のようなものでさえも、カメラの、映像の被写体となり得るのです。

だから私はいまは仕事を選り好みせず、どんなものでも引き受けたいと思ってやっています。そこにまだ見ぬ被写体があるかもしれないから。

居酒屋の彼はきっと、肩書きがないものが怖かったのだと思います。
自分は「映画の助監督である」という肩書きにとても安心しているようでしたから。
肩書きもまた「境界線」のひとつという気がします。
線で自分を囲っているうちは楽かもしれませんが、その世界はひどく狭く、外から見ていて滑稽です。

彼からしたら、私など無職と大して変わりないのでしょう。
実際、私はいつも自己紹介する時に少し迷ってしまいます。
迷った挙句、
「映像のarrowです」
と言うことが多いです。

「映像」なんて職業、この世にはないですけどね。
でも大抵の人はそれで納得してくれますし。

そんな私を「何がしたいか分からない」とあざ笑うのは勝手ですが、
映画だけしか知らなければいつか映画はつくれなくなるだろう、
というのが私の考えです。

アニメしか知らなければアニメはつくれなくなる。だから映画を見る。
映画しか知らなければ映画はつくれなくなる。だからテレビを見る。
テレビしか知らなければテレビはつくれなくなる。だからアニメを見る。

見るだけじゃなく、やる。

私の場合、やっぱり映画がいちばん好きだから、いつかそれを映画に還元するために。

明日、あなたは足もとに引かれた「境界線」を消す人になってください。

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(arrow)

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