「映像」をめぐる旅の始まり

こんにちは、arrowです。
これから主に「映像」について、このブログで時々書いていきたいと思います。

 多種多様な「映像」イメージ

皆さんは「映像」と聞いてぱっとどんなものを思い浮かべますか?

テレビに映し出される映像、
映画館の暗闇に浮かび上がる映像、
スマホで撮影された手のひらのなかのごくプライベートな映像、
街頭ビジョンの広告映像、
YouTubeで見るミュージシャンのPV、
決定的瞬間をとらえた監視カメラや車載カメラの映像、、、。

一口に「映像」と言ってもたくさんの種類があり、

だから皆さんのイメージする「映像」もひとりひとり違っていることでしょう。

ここから更に、
「テレビ」なら『バラエティ』『ドラマ』『ニュース』、、、
「映画」なら『アニメ』『ドキュメンタリー』『3D』、、、
などと枝分かれしていき、

それぞれつくり方や関わっている人間も違うので、
すべてを網羅し本当の意味で「映像について書く」ことは現代では難しいのかもしれません。
(因みに私は主に『映画』と『PV』をつくっていますが、このふたつにも「映像」と一括りにしてしまうことが憚られるくらい大きな断絶があて、それをたやすく両立させてしまうことへの罪悪感、、、などについては、またいずれ書きたいと思います)。

「映像」はカメラで撮られるもの

それでも、ジャンルや手法に関係なく、
すべての「映像」に共通していることがひとつだけあります。

それは「カメラで撮られている」ということです。

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カメラのレンズを通さずに生まれた映像は、今のところこの世界に存在しない、はずです。
したとしたら、ちょっと不気味ですよね。

かの有名なホラー映画『リング』に出てくる呪いのビデオ(映像)は、
カメラではなく貞子の持つ“念写”の力で生み出されたという設定ですが、
それはあくまで映画のなかの話。

余談ですが、『リング』の脚本家の高橋洋氏は劇中の呪いのビデオの表現に少々不満を抱いているそうです。

理由は、井戸から貞子が出てくるシーンがどうしても「照明を当てて」「カメラで撮っている」ようにしか見えないから。

「“念写”の力で生み出されたのなら、そこにいかにもな光を介在させてはいけなかった。」

という考え方に、表現者としての凄まじい熱意が垣間見えます。

とはいえ十分過ぎるほど怖いですけどね、あのビデオ、、、。

実際に霊能力がある(とされている)人などに取材してつくったそうです。

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http://lakatan.net/archives/29904115.htmlより)

「暴力装置」として、「希望の鏡」として

話をもとに戻しましょう。

すべての「映像」は「カメラで撮られている」。
当たり前のことを何を偉そうに、と思うかもしれません。

でも、実はこれがものすごく大切なことなんです.
なぜならそのカメラをどう構え、何に向けるかによって「映像」は、

映っている人を傷つける「暴力装置」にも、
見ている人を笑顔にする「希望の鏡」にもなり得るからです。

それが具体的にどのようなものかについては、次回以降書いていきます。

スマートフォンの動画機能の発達などにより、
誰でも簡単に「映像」を撮れる時代だからこそ、
まずは「カメラ」を何か(誰か)に向けることの危険性を知らなくてはなりません。

勿論、その楽しさも。

私たちの「映像」をめぐる旅は、そこから始まります。

続きます。

世界初の「映像作品」

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(arrow)

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