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世界初の「映像作品」

こんにちは、arrowです。
前回、(前回の投稿 http://pencre.com/video-trip/
一口に「映像」と言っても本当に様々な種類があるということや、
それでも「映像」は「カメラで撮られている」という点において共通していることなどについて書きました。

そして、
カメラを何か(誰か)に向けることの「危険性」と「楽しさ」、、、

構え方ひとつでそれは「暴力装置」にも「希望の鏡」にもなるということについても少し書きました。

更に具体的に書き進めていく前に、

ここで世界初の本格的な「映像作品」とそれを記録した「カメラ」について触れておきたいと思います。

『工場の出口』とシネマトグラフ

世界初の本格的な「映像作品」は、

〝映画の父〟とも呼ばれるリュミエール兄弟がシネマトグラフ(撮影と映写の機能を併せ持つ複合映写機)で撮った、
『工場の出口』という作品だと言われています。

1分にも満たないモノクロの無声ドキュメンタリー映画で、
内容はリュミエールが経営する工場から人々が出てくるだけというもの。

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http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/index/49より)

https://www.youtube.com/watch?v=OYpKZx090UE

世界初の映像作品『工場の出口』

 他愛もないように思えるかもしれませんが、
この「映像」はいくつかの興味深い事がらを示してくれています。

『工場の出口』から読み取れるもの

興味深い事がらのひとつめは、

『工場の出口』が人類初の「ドキュメンタリー」映画であると同時に、
人類初の「フィクション」映画でもあるかもしれないということ。
その一番の理由は、

「工場から出てくる人々が一切カメラの方を見ていない」

ことにあります。

先にも述べたように、この「世界初の本格的映像作品」は、
シネマトグラフという「世界初の本格的なカメラ」で撮られました。

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(http://oneworld-tax.com/whatday-1228より)

そんなものが、ある日突然工場の前に置かれていたら、

あれは一体何かしら?

と、カメラの方を見るのが自然ではないでしょうか。

ところが、この作品に映っている人々は、
まるで気にすることなくシネマトグラフの前を素通りしています。

つまり、監督であるリュミエールがそのように「演出」した可能性が高いということです。

〝犬〟や〝自転車に乗った男性〟や〝馬車〟が出てくるタイミングなどから考えると、何度か「リハーサル」も行ったかもしれません。

カメラの前で大勢の人間を思い通りに動かすことは、

現代の映画づくりにおいても最も難しいことのひとつとされていて(撮影現場ではいわゆる〝エキストラ〟と呼ばれる人たちをスタッフ数人がかりで動かしたりします)、

そう考えると、世界初の「映像作品」は、

他愛ないどころか「撮ることの喜び」と「ものづくりへの情熱」に溢れた素晴らしい「映画」だったということが分かります。

人はなぜ人を撮るのか

興味深い事がらのふたつめは、

世界初の「映像」には「人間」が映っているということ。

世界初の「カメラ」=シネマトグラフが、「人間」に向けられたということ。

リュミエールの作品の中で、おそらく『工場の出口』よりも有名なのが

『ラ・シオタ駅への列車の到着』 だと思います。

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http://matome.naver.jp/odai/2137179396198635401/2138510991059863403

https://www.youtube.com/watch?v=NmxktCi6zoQ

「伝説」をつくった『ラ・シオタ駅への列車の到着』

 当時、この「映像」を初めて見た人々が、

スクリーンの奥からこちらに向かって走ってくる列車に驚いて逃げ惑ったという「伝説」はあまりにも有名です。

そのせいか『ラ・シオタ駅への〜』と言えば「列車」というイメージがやはり強いですが、

よく見るとこの作品の主人公は、『工場の出口』と同じく、

あくまで列車を待つ「人間」、

列車に乗り降りする「人間」ではないかと私は思います(因みにこの映像、何人かの人々がカメラの方を気にする素振りを見せていますね)。

人は、「シネマトグラフ」を手にしたその瞬間から、
どうして人を撮ったのでしょうか。

他にも撮れるものはたくさんあったはずなのに。

そして今も、人は人を撮り続けています。

「関係性」を映し出す「カメラの力」

撮影者と被写体。

カメラマンとモデル。

撮る人と撮られる人。

呼び方は様々ですが、人同士のやりとりなので、そこには当然、
ある種の「関係性」というものが生まれてきます。

そして「カメラ」は、その「関係性」を否応なしに「映像」として記録します。

 

『工場の出口』で言えば、撮影者(リュミエール)と被写体(工場の人々)が「関係ないかのように見せている」という「関係」(つまり彼らが「共犯関係」にあったこと)までをも映し出してしまっているのです。

このカメラ特有の力を、「映像の時代」と呼ばれる今、

私たちは本当に正しく使えているのでしょうか?

続きます。

「希望の鏡」としての「カメラ」
 

 

(arrow)

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