佐藤真さんというドキュメンタリー映画作家がいました。代表作に『阿賀に生きる』『阿賀の記憶』『SELF AND OTHERS』などがあり、国内外で高い評価を受けていましたが、
49歳の時に自ら命を絶ってしまいました。

【画像①(http://webneo.org/archives/5974より)挿入】
佐藤真監督
希望の鏡としてのカメラ
佐藤さんは、
『阿賀に生きる』で、
新潟水俣病の被害を受けた阿賀野川流域に住む人々の「日常」を撮るために、
自らもスタッフと共に約3年間川の近くに住み、田植えなどを手伝いながら
撮影を続けました。
https://www.youtube.com/watch?v=FNYtqWPGr-w
『阿賀に生きる』予告編
そこまでする理由は、一体何だったのでしょうか?
「関係性」のための時間
『阿賀に生きる』のために、
スタッフ7人で阿賀野川のほとりの家を借りて、
3年間そこで生活した佐藤さん。
彼がそこまでしなくてはいけなかった理由。
新潟水俣病の被害の深刻さを伝えたいから、それもあったかもしれません。
でも、何よりもまず、撮影者である前にひとりの人間として、
阿賀に生きる人々ときちんとした「関係性」
を結びたかったのではないでしょうか。
そのためには、ただ行っていきなりカメラを向けるのではなく、
辛いことがあっても黙々と目の前の「日常」を生きていく阿賀の人々の、
田植えを手伝い、
酒を酌み交わし、
ひたすら生活に寄り添いながら撮る3年間が必要だったのだと思います。
ふたつの「まなざし」
佐藤さんに多大なる影響を与えた、
やはりドキュメンタリー映画監督の小川紳介さんは、インタビューで
「僕は対象に対してある関係を持ちえてからしかカメラを回さないです。(中略)僕は相手に対して、撮るとき、何かを強要したことは一回もない。」
と語っています。
『阿賀に生きる』を見ていると、そこにはカメラを通して阿賀の人々の暮らしを見つめる佐藤さんの視線だけでなく、
ふとした時にカメラ(佐藤さん)を見つめ返す阿賀の人々の視線−−
「かつては鮭漁の名人で田んぼを守り続ける長谷川芳男さんとミヤエさん」
「200隻以上の川船を造ってきた誇り高き船大工・遠藤武さんとミキさん」
「餅つき職人で仲良し夫婦の加藤作二さんとキソさん」
(『阿賀に生きる』公式サイトの紹介文より)
らの暖かいまなざしまでもが映っていると感じる時がありました。
「その時相手はね、カメラに撮られてると思ってないわけ。カメラを通り越して、カメラに人格を感じるんですよ。」(小川紳介)
それは、佐藤さんと阿賀に生きる人々が確かな「関係」を結べていたからこそ、
起こったことなのでしょう。
映画を「穫る」ということ
小川さんの著書に『映画を穫る』というタイトルのものがありますが、
佐藤さんもまた、
まさしく田んぼの稲を育てるかのように、
阿賀の人々との「関係性」を少しづつ育てていき、
3年かけて『阿賀に生きる』を「穫った」のだと思います。
見つめるものの視線と
見つめ返すものの視線
鏡のように反射し合って確かな「関係性」を映し出す時、
私は、カメラという一見無機質な機械を「希望の鏡」と呼びたくなるのです。
続きます・・。https://pencre.com/violence-camera/

(arrow)
