こんにちは、arrowです。
前回、ミュージック・ビデオの「気持ちよさ」には麻薬にも似た中毒性があり、それは誰かの何かに対するイメージを「操作」するのに適している、
といったようなことを書きました。
そして、ナチス・ドイツが天才女性映画監督レニ・リーフェンシュタールの力を借りて制作した〝呪われた映画〟『意志の勝利』についても書きました。
『意志の勝利』は、その映像美によってナチスを拡大させ、世界に災厄をもたらした一面があるとされています。
一方で、そのような「操作性」をもって襲いかかってくる「映像」に対抗するかのような作品ばかりつくっている人もいます。
例えばフランスのジャン=リュック・ゴダールという映画監督などがそうです。
抵抗する映画監督・ゴダール
(http://www.fashion-headline.com/article/2014/12/03/8699.htmlより)
※映画監督のジャン=リュック・ゴダール
フランス映画界に新風を巻き起こした世代、
いわゆる〝ヌーヴェルヴァーグ〟の旗手とされるゴダールのつくる映画は、
ちょっと変わっています。
例えば彼の『中国女』という作品では、あるシーンの途中でいきなり
そのシーンを撮っているスタッフたちの姿が画面上に映り込んだりします。
技術的なミスなどではなく、もちろん「演出」としてわざとやっているのです。
ある意味、岡崎体育さんの『MUSIC VIDEO』と同じようなことをしているとも取れますね。
メタ構造、メタ認知。
作品の中で「作品それ自体」に言及したり、
敢えてこれはこうやってつくっているんですよと手の内を明かすことで、
自らの作品に自己批判を促し、
作品と受け取り手の間に距離をつくる。
なぜ、わざわざそんなことをするのでしょうか?
作品と受け取り手の距離は近ければ近いほどいいのではないのでしょうか?
作品と受け取り手の距離の近さは、
何度も述べている映像の「気持ちよさ」に通ずるものがあり、
それに身を委ねすぎると、受け取り手は作り手の何らかの「操作」に気づけなくなってしまう時があります。
そう、例えば本当は戦争は嫌なもののはずなのに、いつの間にか素晴らしいものと思わされていたり、、、。
だから、いつでも一歩引いて物事を見る視点を養いなさい、
世界を「メタに見る」力を持ちなさい、
そういう意味を込めてゴダールたちは「メタ演出」を行うのだと思います。
ゴダールほど極端ではなくとも、そういうところまできちんと考えられている映像作家たちは、
必ず作品のどこかに敢えて「気持ち悪さ」を残していたりするものです。
映画に限らず、MVでも、TV番組でも。
まあ、観る方にもある程度の「力」がなければ、なんだこの下手くそな演出、
で済まされてしまう場合も多いのですが。
それでも、そういうことをし続けるのは大切です。
そういう作品を、MVでもTVでも私は「映画的だな」と思うのです。
だから、MVをつくっているとき、クライアントに
「もっとMVっぽくして欲しい(=もっと気持ち良くして欲しい)」
ばかりでなく、たまには
「もっと気持ち悪くして欲しい。違和感をたくさん残して欲しい」
と言ってくれる人がいてもいいのではないかと思うのですが、
まあ、それはなかなか難しいことなのかもしれません。
IS ILの処刑映像とアメリカの「MTV」
最近、イスラム過激派組織ISIL(イスラム国)が人質を殺害する映像などをインターネット上にアップロードし、物議を醸しています。
ワイドショーのコメンテーターなどが、ISILの公開する映像に対して度々
「完成度が高い」
と言っているのが気になりました。
最新型のカメラで撮られたその映像は画質が非常によく、
場合によってはCGによる合成技術なども用いているようです。
そして、一番の特徴は、
複数台のカメラによる同時撮影や、カット割り等を用いて、
処刑シーンをこれでもかというくらい「演出」していること。
それを音楽に合わせて「気持ちよく」編集していること。
そう、まるでミュージック・ビデオみたいに。
それは、一昔前のテロ組織の映像の特徴−−画面が暗く、ザラついていて、基本的にすべてがワンカットのなかで行われる−−とは違い、
確かにとても「イマ」っぽい映像になっています。
それを「完成度が高い」と受け止める人もいるでしょう。
でも、私には彼らのやっていることがとても滑稽に思えるのです。
その映像のなかで行われているあまりにもむごい行為への戦慄と、
深い悲しみを踏まえたうえで。
彼らのやっている「MVっぽい」映像へのアプローチの仕方は、すべて、
彼らが最も敵視する国、
そこに根付いた暮らしも文化も焼き尽くしてしまえと言っている国、
アメリカのテレビ局〝MTV〟が生み出したものなのです。
自らの正当性を主張するために、ただ映像のインパクトを強めたいがために、
何の批判精神もなしにアメリカの文化を全投入するISIL。
だから、あの映像は「完成度が高い」どころか、
彼らの浅はかさを世界中に発信しているようなものなのです。
何より、そんなものに付き合わされて尊い命を落としてしまった人たちがかわいそうでなりません。
彼らは、もしかしたら人質に、
「演出」のための「処刑のリハーサル」すらやらせている可能性があるのです。
あまりにも、むごい。
しかし、単に見るものに恐怖を与えるという意味では、
ひと昔のザラついた映像、
ワンカットで撮られた映像の方がよほど怖かったです。
ワイドショーのコメンテーターたちは、きっと、
「ミュージック・ビデオ」に潜む罠にあっさりと嵌ってしまったのでしょう。
私は、皆さんにそうはなって欲しくありません。
(arrow)