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「映像」のこわい話~「身体の知覚」と「機械の知覚」

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こんにちは、arrowです。
何回か前の文章で、
「カメラ」には撮影者と被写体の間に強制的に上限関係をつくり出し、上の者が下の者から一方的に搾取を行う「権力装置」「暴力装置」としてのおそろしい顔があるという話をしました。

今日は、また違った側面から「カメラ」の、
「映像」のおそろしさに迫っていきたいと思います。

おそろしくもあり、楽しくもあり、という感じです。

すべての映像はホラーなのか

「すべての映画はホラー映画である」

と語ったのは、『アカルイミライ』『東京ソナタ』『クリーピー 偽りの隣人』などの映画を監督した黒沢清さんです。

ラブストーリーを撮ってもいつの間にかホラー展開になってしまう黒沢さんらしい発言だと思います。

そして、ものすごく「映画」の −−「映像」の本質を突いた言葉だとも思います。

「映像」においては、人間ドラマも、アクション活劇も、コメディも、ラブストーリーも、ドキュメンタリーさえも、、、

つまるところ「ホラー(恐怖/恐ろしさ/恐ろしい人、物、事。)」でしかないとは、一体どういうことなのでしょうか?

その謎を解く鍵も、やはり「カメラ」にあると思います。

 

ナチス将校を震え上がらせた「映像」

『新生 トイレの花子さん』『リング』などの脚本を担当した高橋洋さんの著書『映画の魔』によれば、

強制収容所でユダヤ人の大虐殺を行ったナチスの将校たちは、

その後の裁判で証拠として山積みの死体の「映像」が映し出されると、

「うわっ」

と短く叫んで顔を背けたと言います。

中には少女のように泣き出す者までいたとか。

平然と人を殺してきた軍人が、たかだか「映像」ごときになぜ、
そこまで怯えなくてはならなかったのでしょうか?

それにはこの世界にあるふたつの知覚−−

人間による「身体の知覚」と、
カメラによる「機械の知覚」

が関係しているのではないかと私は考えます。

「身体の知覚」

私たち人間は、普段、ふたつの目で色んなものを見ながら生きていますよね。

でも、それは「見ている」と私たちが勝手に思い込んでいるだけで、
実際は全然「見(え)ていない」んです。

その理由は、私たちの脳が発達し過ぎていることにあります。

発達し過ぎた脳みそは、視覚からあまりにも膨大な情報量を得ているため、

何かを「見た」瞬間、

それが生きていくために「身体」に本当に必要かどうかを瞬時に取捨選択してしまっているのです。

不要となった情報は、それがそこに存在していようが、いまいが、

「見ていない」ことにされてしまう

 

だから、例えば私たちが「空」を見上げて綺麗だなーと思っても、
実際に見えているのは「空」のほんの一側面に過ぎません。

どんなに目を凝らしたって、それが「身体の知覚」の限界なのです。

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「機械の知覚」

それに対して「機械」 — つまり「カメラ」は、「すべてを見」ます。

この世界の本当の姿を、何ひとつ見落とさずに「映像」として記録するのです。

なぜなら「カメラ」は「機械」だから。
「機械」は生きていないから。

映り込んだ情報を取捨選択する必要がないから。

あなたが実際に「目で見た空」と、
カメラを通して「映像(もしくは写真)になった空」、

明らかに印象が違っていることがありませんか?

目で見たよりも明らかに映像の方が綺麗だったり、
目で見た時は綺麗だったのに映像にすると微妙だったり、、、

家のなかや通学路など、いつも見慣れた何気ない景色も、
映像や写真にしてみるとまるで知らない場所に思えてくる。

理屈ではなく、確かな実感として。

 

そう考えると、
ユダヤ人を虐殺した将校たちに、

「山積みの死体の映像」がどう見えていたとしてもおかしくはありません。

その「映像」は、山積みの死体に隠れて見えなかった「本当のこと」、

「この世界の本質」、

それはもう「幽霊」と呼んでも差し支えのない、

普段は決して見ることのできないものまで彼らに突きつけてしまっていたのでしょう。

 

「映像」のなかの「幽霊」

 

「映像」のなかに潜む「幽霊」たち。

考えてみれば「映像」とは、
カメラを通して記録したその瞬間から「過去」になっているものであり、

だからそこに映っている物や人は全て、

決して「今」を生きることのない「幽霊」でしかないのかもしれません。

そこで展開される物語が、

人間ドラマでも、アクション活劇でも、コメディでも、ラブストーリーでも、ドキュメンタリーであったとしても、、、

結局のところ全ては過去に閉じ込められた「かつて在ったもの」たちの物語でしかない。

それはとてもおそろしい、

と同時に「映像」の持つ可能性を更に一段階引き上げる、

興味深いワクワクする事実だと思います。

 

夜中にひとりで大昔に撮られた白黒の記録映像や、写真などを見ていると、

単に人々の日常を映したものであるにも関わらず、

突然背筋に冷たいものが走るのは、

それが「機械の知覚」で以ってこの世界の本質を捉えすぎていることと、

映っているものたちが二重の意味で「今ここ」に存在していない「幽霊」であること、が、主な理由なのかもしれません。

 

なるほど、確かに「全ての映画(映像)はホラー」だったのです。

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(arrow)

 

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