弊社ライズプランニングはテレビ局制作の番組への出向型の制作会社です。
出向先は、月曜日から金曜日放送しているデイリーの番組がメインです。
テレビメディアに就活をしている学生さんから
「業界に入るったらどのように働いていくことになるのでしょうか?将来は?」
「その番組でずっとやっていくんでしょうか?」
「番組を移ることはできるんでしょうか?」
と質問を受けます。
今回はこれからテレビ業界へ入ろう、という方々へ向けて
ベテランディレクターからメッセージをいただきました。
入り口はテレビで、ずっとテレビを作り続ける人、岐路がある人、さまざまです。
先を行く先輩たちの姿が参考になれば幸いです。
自信を持て!テレビこそメディアの王道
[渋川ドットテレビ ディレクター 倉田丈]
「テレビの時代は終わった」最近よく目に、耳にする。視聴者がかなり少なくなっているのは確かだ。
いわば斜陽産業なのかもしれない。
そんなことを考えるのも腹立たしい昨今、若い皆さんには先輩ディレクターとして私が言いたいのは
「余裕です。心配いりません。」だ。
なぜか?
34年テレビに関わってきた経験から言えば、映像コンテンツの仕事は、なくなることはないからだ。
そして、テレビマンとして嫌にならずに10年も続けられれば、代表作も持てるようになるだろうし、それなりのスキルも身に付く。
書けない書かない構成作家に高いギャラを支払った時代はとうに過ぎ、
1時間2万円も払う編集スタジオに代わってディレクターがパソコンで編集作業をし、
作家の代わりにナレーションはおろか構成台本まで作るこの時代。
- 取材(取材先と会ったり、電話で話を聞いたり)
- カメラ取材(作家同様に、もはやディレクター自らがカメラマン、オーディオ、照明などすべてこなす)
- 編集(PCで)
全部やらなければならない。
そんな現場に配属されたら、それは大ラッキーです。
今は、テレビ東京はヒット番組を大量に世に送り出す、普通の放送局になったのだが、私がADとして働き始めた頃は貧乏を言い訳に「小さな予算で大きな企画」を推進。
ただ、所帯が小さいゆえの小回りの利くゲリラ的な放送局だった。
日立が提供の5分枠音楽番組に、テレビには出ないと言われた矢沢永吉を出したり、土曜の昼に”アナーキー”という当時は画期的なジャパニーズパンクバンド(後にメンバーが逮捕される)のドキュメンタリーを放送したりと癖の強い番組と、
プールの上に吊るした丸太にまたがり、ピコピコハンマーで殴りあい、水に落ちた方が負けという「プカプカドボン」などといった番組を放送。
今では「Youは何しに日本に」や「孤独のグルメ」など当時では考えられなかったヒットのミラクルを起こしている。
時代は変わるものだ。
私がテレビに関わり早34年。
まさかテレビがこんなに飽きられるとは、いや嫌われるとは夢にも思っていなかった。
それでも、田舎秋田の父は帰省のたびに毎日のように私の名前がエンドロールに流れた日を懐かしそうに語る。
それもあってか、強く感じるのは地方のお年寄りにとって楽しみは、タダで情報を得られるテレビしかないという事。
そんなファンタステックなものに34年も携わってこられて、自分はなんて親孝行なんだと思う。(少し嘘)
田舎のお年寄りの多くは都会とは違いスマホを持っていない。
独居老人の家には光ケーブルがない。動く映像は、町までいかないと映画館がないので、選択はテレビ一択となる。
自分を例にすれば、54歳で某新聞社系制作会社から50歳以上のフリーに払える予算の番組がないと、職を追われた。
今まで無かった、いわゆるリストラだ。
さて、どうする?
その前に個人的には、妻にもリストラされていた。
身軽になっていたので、それほどショックでもなかった。
なぜか?
映像制作や文章を書くというスキルをテレビから授かっていたからに他ならない。
大学時代にアルバイトをしていた洋服屋の先輩が、群馬県渋川市で市会議員の3期目を務めていた。
「自治体はPR動画ばかり。渋川市でも何か計画あるでしょ?やらしてくださいよ!」
これが、現在の私のミッション、「渋川ドットテレビ」の始まり。
通常は、2~3千万円の予算で、「うどん県」や「湯布院の温泉遊園地」的な一発で終わりの動画を作って終わりなのだが(現場予算が半分もないこともある)
我が渋川ドットテレビは月間に最低6本のPR動画や企画もの動画をインターネットで配信している。
当然、実入りは地上波やBSに及ばないが、地方での生活はコストが安く助かっている。
地元では、それなりに認知され、フェイスブックページでの反応もすこぶる良い。
インターネット配信である以上は、基本スタンスとして世界に発信しているので、その観点から企画を進めている。
世界中学生野球選手権では、市内の「将来のイチロー」と噂される少年を追いかけたり、
人間国宝ならぬ渋川人間市宝では梅笛の名人のガソリンスタンドの親父や渋川に70年代、大型総合結婚式場を作った元魚の行商のおじさんなど、市に埋もれた逸材の発掘。
発掘といえば工事のたびに発掘される遺跡のセミナー的番組「なるほど遺跡塾」、渋川市の特徴としてあげられる防災専門員の採用、元自衛官の防災セミナー「防災先生」など、好評を博している。
なお、渋川ドットテレビには中央で活躍する、活躍していた芸能人は一切登場しない。
むしろ、配信開始から1期を過ぎ2期目を迎えた現在は、渋川市民の中からタレントを作ろうとしている。
名前にテレビが付くからと言って渋川ドットテレビは、ある意味テレビの形態をとってはいても、市民の間でちょくちょく話題になる新しい映像メディアであり、
大半のスマホを持たないお年寄りが市役所のモニターに映る数々の番組を観たり、同居する若夫婦に頼んでパソコンで観たりと、個人メディアではなくコミュニケーションツールとなっている。
そんなことができるのも、私がテレビディレクターだったからであり、この先も映像コンテンツは大きな広がりを見せていくだろう。
テレビマンの未来は明るい。ただし、撮影ができてナレーションや台本が書けて、ノンリニア編集ができる者に限るが。
