私は今、テレビ番組のディレクターをやっている。
ADからディレクターになることによって何が変わったのかを書いてみようと思う。
ADからディレクターになると何が一番違うかと聞かれたら、おそらく誰もが口をそろえて
「責任」と答えるのではないかと思う。
ディレクターになる前
テレビの世界は外からみると未知の世界で華やかに見えると思う。
いったいどんな人が、どうやって番組を作っているのか、裏ではどうなっているのか、
と思うのではないだろうか。
華やかに見えるが、実際はきついとも聞くけどどうなんだろう。
かく言う自分もこの世界に入る前は、楽しそうで、クリエイティブな感じがしたものだ。
実際にテレビの世界に入ってみると、最初現場に入った時は、何がどうなっているのか全く分からなかった。
雑然としていて、忙しそうで、みなバタバタしている。
一方、突っ伏して寝ている人もいれば、カップラーメンを食べている人もいる。
服装も自由だ。
入ってすぐに研修があるわけでもない。
最初のうちは何かを頼まれても自分が何のために、どんな仕事の一端をやっているのか全く分からなかった。
それでも3カ月くらいすると何となく周りが見えてきて、嫌な仕事もあるが好きな仕事も出てきた。
中継はピリピリしていて怒られるからいやだけど、フロアーの仕事は楽しかった。
そして半年もすると大体全体が見えてきて、番組を作る流れが当たり前にわかってきた。
後輩も入ってきて、教える立場になったりもした。
そして、何やかやでADを数年やっていると、すっかり一人前の気がしてきたものだ。
そのうち小さなコーナーを任されるようになると、いっぱしのディレクターにまでなった気がして、忙しさは増すが、仕事が面白くなってくる。
このころがAD時代の一番楽しい時期かもしれない。
ところがそれも徐々に慣れてくると、今度はなぜディレクターになることができないのか、いつまでもADのままなのかと不満が出てくる。
実際、ディレクターと何ら変わりない仕事をするようになると、名刺の肩書きがADとなっているのも気になる。
お店などに交渉するときもADの名刺では恥ずかしいし、やりにくさを感じてきた。
任せてくれるならディレクターの名刺が欲しい。
ADの肩書きの名刺では相手が不信感を抱くのに、とも思った。
いつまでもADのままならもうここにいたくない、とまで思ったりしたものだ。
また、あのディレクターより自分の方がよっぽど仕事ができる、と舌打ちしたくなる時もあった。
ところがこんな愚痴も、すべてADの身分だから言えたことだ。(とあとになって思う)
全て任されていたつもりでやっていたが、実はディレクターやプロデューサーの責任のもとにやらせてもらっていたんだという事が後になるとわかる。
実際にディレクターになると甘かった自分に気が付くことになる。
ディレクターになって最も責任を感じる瞬間
確かにディレクターになるとADの時とは責任の重さが雲泥の差だ。
これはたぶんなってみないとわからないと思う。
あとから思えば周りはそれほど重く感じていなかったのかもしれない。
あいつにディレクターをやらせてみよう、くらいのものだったのだろう。
ただ、ADの時と違って、自分が上、自分以外に頼れる人はいない、という責任は思った以上に重いものだった。
実際はディレクターになったからといってすごく周りが変わるわけでもない。
ところが自分で自分のディレクターという肩書に負けてしまいそうになるのだ。
ディレクターになったんだからちゃんとしなければいけない、という過度な責任を自分で自分に与えてしまったのかもしれない。
だからディレクターになったとたん、何をするにもすごく大変に感じた。
態度や顔つき、歩く様子まで変えなきゃいけない気がした。今から思うと笑いたくなる。
言い換えればそんな意識の違いこそがディレクターになるという事ではないだろうか。
技術や知識はその後のことだと思う。
さて、それでもディレクターになって、なんとかやれるようになるものだが
ディレクターになってみて、実際の作業として自分が一番緊張する瞬間はやはりオンエア前だ。
音効からBGMが付いたよ、と吐き出されて、セリフや音を最終チェックするとき。
自分にとってはこのチェックが一番怖いところだ。
そして視聴率の責任もディレクターにある。
視聴率は上がればいいというものでもない。
視聴率上がるのはちょっとしたタイミングに左右することが多い。
他局が面白くないとか、一瞬有名人の誰かが出ていたとかそんな偶然で上がったりする。
ところが、視聴率が下がる時は確実に面白くないのが原因だ。
だから視聴率は、上がっている時の嬉しさより、下がってしまった時のダメージの方が大きい。
下がっていると、あー、やってしまった、と思う。
ADの時はそんなこと全く感じなかったのに、いろんなことがすごく気になるようになるものだ。
今から思うとディレクターになったばかりの頃は本当に余裕が無かったと思う。
関連記事:テレビのディレクターになりたい人へ
ディレクターになってみてADに思う事
ディレクターになるとADの見方も変わってくる。
ADの時はネタ探しのリサーチを頼まれても、
これくらいでいいか、と提出して終わりだった。
だから、自分がディレクターになるとそんなADの気持ちもわかるし、適当さもわかってしまう。
ところが、ディレクターになればリサーチもネタ探しも全部自分の責任になる。
優秀なADがリサーチしてくれると、とても助かるものだ。
最近はみんなADに対して優しすぎだ、と感じる。
いろんな問題があるから仕方がないとは思う。
ディレクターになってADを見ていて最近思うのは
- 気が利かない
- 覇気がない
- 面倒くさいのが顔に出る
- 目を合わさずに返事をする
- 返事だけはするがやらない
- 人のせいにする
人のせいにする、というのはたとえば
- 素材をもらったばかりだから…
- 私はやった方がいいと思ってましたけど…
- CGが遅かったから…
- 編集が遅いから‥
という感じだ。
全体的に「すいません」が言えない人が多い気がする。
プライドが高いのか。
プライドなんか高かったらこの仕事はできないと思う。
頭下げっぱなしですから。
とはいいつつ、ADにいい仕事をしてもらうようなディレクターにならないといけないとも思う。
必ずしも自分がいいADだったとはいえない。
それもこれもディレクターになってわかったことだと思う。
弊社ライズプランニングはテレビ局出向型の番組制作会社です。
テレビ局で働いてみたいという方からのエントリーをお待ちしています。
関連記事:テレビ局にはどんな仕事があるのか
では今日はこのあたりで。