テレビ創世記のお話についてはテレビ番組の歴史 1950年代・60年代で紹介しましたので今回は
1970年代のテレビ番組の歴史を振り返ってみようと思います。
歴史に残るテレビ番組の視聴率
コント55号対ドリフターズ
1968年にフジテレビで始まった「コント55号の世界は笑う」は、初めてのカラー放送での公開収録番組だったそうです。
放送時間は毎週土曜日、夜8時からの1時間番組でした。
1969年10月4日、フジテレビに対抗するように、TBSで同じくカラー放送の公開収録番組が始まります。
それが、ザ・ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」。
コント55号の裏番組です。
土曜8時のテレビ番組の視聴率戦争が勃発しました。

軍配はザ・ドリフターズにあがります。
「8時だヨ!全員集合」は1985年まで続きますが、「コント55号の世界は笑う」は1970年3月で終了してしまいます。
「全員集合」が始まったとき、視聴率は「全員集合」が約15%。「世界は笑う」が約30%。
1970年1月2月、「全員集合」に、TBSのドラマの出演者がゲスト出演することで、数字を追い上げていき、ついに逆転するということが起きたそうです。
今も、ドラマの番宣で同局のバラエティ番組にゲスト出演するということがありますが、その始まりだったんですね。
1970年からは、土曜夜8時はバラエティ番組の熾烈な視聴率戦争で、子供たちはテレビ番組の虜になっていました。
当時、TBSのほうがネット局が多かったと思います。
なので、土曜8時は全員集合を見ていた人のほうが、全国的には多かったと思います。
ネット局についてはこちら:独立U局と民放系列局の違い
1970年代の土曜夜8時は、TBSの独壇場となります。
「あさま山荘」事件の脅威の視聴率
1970年代、もうひとつ、大きな事件は、「あさま山荘」事件です。
1972年2月、連合赤軍が軽井沢のあさま山荘に管理人を人質にとり、立てこもった事件。
立てこもりから10日たった2月28日、警察が突入します。
連日、テレビでは生中継がされていましたが、2月28日は突入作戦を決行することとなり、朝から、NHKをはじめ民放各局が生中継をしました。
犯人逮捕、人質救出は夕方でしたが、このときの全体の視聴率は89.7%。
日本中のほとんどの国民が、テレビで、歴史的な事件を固唾をのんで見守っていたことになります。
突入までの数時間の間は、あさま山荘の外観がずーっと流されているだけの映像でした。
今、何か始まるかもしれない…という期待感で、テレビから離れることができなかったのです。
撮影機材、収録方法の進歩により、歴史的な事件がリアルタイムで、テレビによって知ることができた事件でもありました。
1968年にTBS闘争がおき、
不本意に異動させられたディレクターやカメラマンは、局を去り、1970年に制作会社をつくります。
正確には、フリーランスのディレクターやテレビクリエイターたちの組合です。
こうした、局の中で鬱積を感じていたディレクターたちは、自ら外にでて、制作会社を設立していきます。
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テレビ番組からスターが生まれるように
1972年は、カラーテレビ世帯所有率が50%になった年でもあります。
公開オーディション番組「スター誕生」から、山口百恵、桜田淳子、森昌子がデビューし、「花の中三トリオ」と呼ばれました。

「スター誕生」は、1971年から始まったテレビ番組で、司会は欽ちゃん(萩本欽一さん)でした。
70年代の始まりと同時に「スタ誕」が始まったことで、70年代のテレビ番組の特徴が決まったような気がします。
10代のアイドルたちが大量に活躍しはじめる時代でもありました。
「スタ誕」でアイドルが生まれ、公開バラエティ番組でコントに歌にと活躍できる場がたくさんある時代、
全国の子供たちは、テレビ番組を見て歌を覚え、振り付けを真似て、アイドルに憧れるだけでなく、
自分も出たい、と夢を膨らませるようになります。
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70年代のテレビ番組
70年代はテレビが急速に家庭に浸透しはじめ、テレビ番組を見ることによって情報がそれまでよりも格段に早く国民に届くようになった時代でした。
多くの人がテレビやテレビ番組のこれからに期待し、これからどのような生活の変化が訪れるのか、という期待感に満ちていたのだと思います。
テレビ番組で扱われている内容もアイドルやコントといった明るいものが多く、一気に家庭の雰囲気が明るくなったことは間違いないでしょう。
リアルタイムで多くの人が同時に情報やエンターテイメントを共有できる、というのは歴史的に見てとても大きな変化だったと思います。
特にニュース番組を見て、リアルタイムで世間の動きをキャッチできることになったことで、人々の生活の安全性も上がったと言えるのではないでしょうか。
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