『ガイアの夜明け』や『プロフェッショナル仕事の流儀』のようなドキュメンタリー番組と呼ばれるものは相変わらず人気があります。
一人の経営者や、職人さんにスポットを当てて、その人を通して見えてくる世界は、感動を与えることが多いからです。
そのドキュメンタリー制作の現場に大きな変化が出てきています。
かつてのドキュメンタリー番組の制作
テレビ番組の放送が始まったころはまだ、ドキュメンタリー番組はあまりありませんでした。
ドキュメンタリー番組が盛んになったのは、ちょうどバブルが始まる1980年代からです。
そもそもドキュメンタリー番組の制作というのは手間がかかります。
1日だけの撮影で済むことはほとんどなく、テーマとなる人や、仕事、企業と良い関係性を作ることから始まり、
何をどう表現するかは、制作者の手腕にかかってきます。
単に物体を撮影するだけの絵づらでは何の感動も与えず、
ドキュメンタリー番組には常に「人」というものが必要です。
その人の内面を引き出し、見ている人に共感を与えるようなドキュメンタリー番組でなければ番組としては難しいんですね。
バブル期の頃から、テレビのドキュメンタリー番組では、
職人さんや、頑張る会社の社長さんはじめ、お店を切り盛りするおかみさんなど
様々な人をテレビを通して、見せていくことが一つの流行だったともいえるかもしれません。
それと同時に、ドキュメンタリー番組は、世間の人々が知らない世界を垣間見ることができるというワクワク感や、発見もあり、人々の知識欲も満足させていました。
ドキュメンタリー番組は、夜のゴールデンタイムにしばしば長い時間尺をとって放送され、老若男女に通じる幅広い視聴者を獲得する、題材でもあったわけです。
このようなドキュメンタリー番組には専門の脚本家が付いて、台本を書き、
感動的なストーリーが出来上がっていったのです。
時には、撮影された本人のたどたどしい散文的なインタビューの内容を
脚本家が素晴らしい言葉で言い換えてくれて、
当の本人が「俺はこんなことを考えていたのか」と自分を再認識するような、こともままありました。
言葉というのは言い方次第で宝石のように輝きますから、そこはやはり脚本家はプロなのです。
制作費の捻出が難しいドキュメンタリー
さて、そんなドキュメンタリー番組制作は、バブル時代に有り余る制作費用をかけたからこそ、可能な技でもありました。
長い時間かけて何度も編集をし直し、時には再度撮影に行き、脚本家に直してもらうという、地道なドキュメンタリー番組制作の仕事はまさに職人気質のテレビマンの仕事でもあったのです。
ところが、時代は変わっていき、バブルも崩壊し、日本経済はかつてのような勢いがなくなり、ドキュメンタリー番組を作ることがしんどくなってきました。
特に経済面では厳しいものがありました。
良い人材も集まらなくなり、良い脚本、良い作り手も減っていき、
何より、制作費のかかるドキュメンタリー番組は、そもそも無理になってきたんですね。
そこに加えて現れたのがインターネットの動画です。
関連記事:テレビ番組の歴史。時代ともに変化する番組内容について。
インターネットのドキュメンタリー番組制作
インターネットのユーチューバーと呼ばれる人たちの中に、自身の体を張ってドキュメンタリー番組を制作をする人たちが現れるようになりました。
そのドキュメンタリー番組の動画は、素人臭い、見にくい映像のものも多かったとはいえ、
現在では徐々に本格的なものもあり、中には過激になっていくドキュメンタリー番組もあります。
そんなユーチューバーたちは、日本のみではなく、海外にも足を運び、これまでテレビを通して見る以外には知りえなかった未知の世界がどんどん広がっていきました。
ユーチューバーと呼ばれる人たちは、自分自身ががタレントとなり、レポーターとなり、ディレクターとなり、撮影者となって、ドキュメンタリー番組を作っていきます。
プロが撮るような優れた技術ではないのですが、そこにはプロにも勝る魅力があふれていました。
プロの脚本家が描き出した洗練された言葉と無駄のない編集のドキュメンタリー番組とは異なり、そのままの映像は、逆に新しく生々しく、インパクトが強かったんですね。
日本人の誰もが紹介したことが無いような、未知の場所が多く映り、現地の様子が生々しく映されます。
そもそもどうしてそれができるかというと、ユーチューバーの場合は、責任が本人に帰するだけだからなのです。
テレビの場合は、危険な場所に行くことや、少しでも危ないことをすることは会社として、また番組として大きなリスクが伴います。
何かがあったときに責任の所在はどこにあるのかとなったとき、組織の判断は、「危険なことはやらない」になってしまうのです。
万一何かあれば、テレビ局の責任が追及されてしまいますから、危険が伴うようなことはなかなかできないのです。
未知の土地や場所であればあるほど、危険とリスクは高まりますから、テレビが公式に撮影に行くには、幾多もの、ハードルを乗り越えなければ撮影許可がおりません。
そもそも、テレビも会社組織には変わりありませんから、万一何かあったら誰が責任を取るか、となったときに誰も矢面には立ちたくはないものです。
結果として、テレビは冒険がしにくくなってしまいました。
関連記事:街歩き番組のロケ、撮影に許可は必要?公道と私道で違う対応方法。
これからのドキュメンタリー番組のあり方
インターネットの浸透、SNSの広がりで、今や、情報はあらゆるところから得ることができるようになりました。
インターネットの情報は必ずしも正しいとは限らないということも、すでに体感している人がほとんどでしょう。
溢れる情報から、何が正しいのか、自分に必要なのかを、自分で精査して情報を吟味していく時代だと思います。
ドキュメンタリー番組もかつてのバブル期のような、美談に作り上げられた、きれいな編集よりも
そのままのリアルを映すような映像の方が真実味を帯びていると感じられる時代だと思います。
手間暇かけて時間と費用をかけて、作り込むやり方は、すでに古い形式になっているといっていいかもしれません。
というのも、多くの人々はインターネット上で人々はありのままの、編集なしの素人映像を見慣れているので、
加工したものをみると、作られたもの、形だけのもの、と感じ始めていると思うからです。
しかも、やり方もかつての方法を踏襲しているため、ドキュメンタリーはワンパターン化してきているのも感じられますし、
そのことを、特に若い世代は肌で感じていると思います。
極端に言うと、お涙頂戴のドキュメンタリーはこれからはちょっと時代遅れになるのではないかと思っています。
ではテレビはどんな方向に進んでいくのか。
テレビとユーチューバーの圧倒的な違いは、信用度だと思います。
これからは個人と言えども、ユーチューバーが勝手に公の場所で撮影をしたり、
勝手に他人を移したりすることは、さらに厳しく規制がかかっていくと思います。
そうなると、ユーチューバーが動ける範囲は自分自身を映すことと、規制の無い場所での撮影が主になっていくでしょう。
テレビの良さは信頼性なので、自分以外の人を交えた撮影ということでは、個人に比べて圧倒的にやりやすい媒体だと思います。
その良さを有効に使って、美談に作り上げるのではなく、
素の人々を自然体で映したり、または一般の人の参加型のドキュメンタリー番組に移行していくのではないかと思っています。
インタビュー番組が増えているのもそのためではないかと思っています。
あれは、名もない個人がインタビューしてもなかなか答えてくれませんが、テレビだからこそ答えてくれるということがあります。
(テレビでもなかなかに大変なのですが)
街の人のそのままの声というのは面白いものです。
一般の人を加えたスタジオでの対談番組や、
普通に暮らしている人の生の声をそのまま撮影して、すぐに放送するような、ドキュメンタリー番組、自然体の番組が今後さらにどんどん増えていくような気がしています。
関連記事:テレビインタビューに答えてくれやすい人はどんな人?
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では今日はこのあたりで。