テレビ創世記から70年代までのテレビの歴史は下記記事で振り返りました。
ここでは、1980年代のテレビ番組の歴史を振り返ります。
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80年代初頭のテレビ番組
山口百恵の引退とともに変わるテレビ番組
1980年代のテレビ番組は、山口百恵の引退から始まったといえるのではないでしょうか。
山口百恵は1972年、スター誕生からデビュー。
- テレビの歌番組
- バラエティ番組
- ドラマ
- 映画
- コンサート
- CM
と70年代を疾走します。
歌唱力があり、歌う姿には、独特の翳りがあり、ミニスカートで元気に踊り歌うアイドルたちとは違う、視聴者にとっては、その翳りの部分がなんとも想像力をかき立てるアイドルでした。
1980年、結婚を機に、きっぱりと芸能界を引退し、
80年代はあらたなアイドル、あらたなバラエティ番組がテレビ番組が入れ代わり立ち代わりあらわれる時代となります。
24時間テレビスタート
そして、80年代に入る直前の1978年に、画期的なテレビ番組が放送されました。
日本テレビで放送されている、「24時間テレビ」です。
日本テレビ開局25年記念番組・テレビ25年スーパースペシャルとして放送されました。
総合司会は、ここでも、欽ちゃんこと萩本欽一さんでした。
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お笑い番組が林立した80年代

80年代は、バラエティ番組の時代と言えるかもしれません。
漫才ブームが起きる
漫才ブームがおこり、コンビ漫才、
しかも、今までにない新しいコンビが綺羅星のごとく誕生します。
それまでの漫才コンビは、お揃いのスーツ姿でした。
それが、この時期に出てきたコンビは、スーツにこだわらず、その当時のファッションを取り入れていました。
漫才の形も、それまでの形にとらわれない、リズム感とスピード感のある、勢いのある笑いです。
- ツービート
- B&B
- 紳助竜介
- ざ・ぼんち
などなど。
お笑いがテレビ番組の新しい時代を切り開いていきます。
80年にスタートした、フジテレビ「笑ってる場合ですよ」は、
「笑っていいとも」が始まる前の番組。
新宿・東口にアルタスタジオが完成して、はじまった番組です。
司会はB&B。
公開生放送の平日のお笑い番組。
平日のお昼はワイドショー、というテレビ番組のイメージを、フジテレビが開拓し、斬新な時間帯でのバラエティ番組となりました。
面白ければ何でもアリ、なテレビ番組
81年は、あの土曜夜8時に、これまたフジテレビが挑戦します。それが、「オレたちひょうきん族」。
TBSの「8時だヨ!全員集合」は、公開収録で、フォーマットがきっちりと決まっていました。
毎回、ステージ上にセットを組むため、毎度毎度台本を作りこみ、アドリブは全くありませんでした。
笑いは「間」であり、タイミングが一瞬でもズレると、爆笑どころか、会場に笑いが全く起こらない魔の瞬間になりえます。
その真逆をついてきたのが、「ひょうきん族」。
公開収録ではなくて、フジテレビのスタジオセットの収録にしたのです。
- ビートたけし
- 明石家さんま
- 紳助竜介
- 片岡鶴太郎
- 山田邦子
- ザ・ぼんち
などの芸人に加えて、東京の芸人も関西の芸人もごちゃまぜに登場し、
ときに、制作サイドのディレクターやプロデューサーも登場していました。
そして、局アナも出演。他局のパロディもありと、面白ければなんでもアリな番組の登場が、テレビの80年代を切り開いていきます。
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人気テレビ番組の作り手たちの苦労
「全員集合」でADをしていた方とお仕事をしたことがあります。
ADとはいえ、タイミング次第で爆笑か、沈黙かがかかっているとあって、ストレスがハンパなかったといいます。
少しでもタイミングがズレると、反省会のときに、ディレクター、プロデューサー、そしていかりや長介さんから怒鳴られていたそうです。
ストレスのあまり、やってはいけないということをあえてやらかしてしまい、とんでもなく叱られ、丸坊主にして土下座したこともあると言ってました。
また、小道具で便器を使うことがあったのですが、ADだったその人は、ディレクターに「なめろ!」と言われたそうです。
なぜかというと、その便器は、テレビ番組本番のコントで使用するものです。
出演者のドリフターズ、ゲストが触るものですから、それくらい、キレイに扱わなければならないものだったのです。
その当時、「全員集合」だけではなく、バラエティ番組の制作現場は今以上に過酷なものでしたが、
本番一発勝負の全員集合は、精神的にはぎりぎりな状況での番組制作だったと思います。
ついうっかり、が大事故を起こす可能性があったでしょう。
その、「うっかり」を正すために、ディレクターは「なめろ!」と命令したのだと思います。
近年、「全員集合」の美術セットについて特集が組まれていたのを観ましたが、たしか、毎度毎度のセットの費用は1000万円以上。
それを毎回、コントの最後のシーンで総崩れさせるのです。
毎週収録、毎週セットをつくり、壊す。
そういうことができた時代でした。
新しい形のバラエティ番組

85年からは、日本テレビで「天才!たけしの元気が出るテレビ」が始まります。
このテレビ番組は、新しい形でした。
スタジオを飛び出し、ロケがメインです。
ロケしたVTRをスタジオで、ビートたけしをはじめ、出演者が見る、という形です。
- タレントの自宅
- 町中
- 公園
などへ出向き、笑いを生み出す。
固定されたカメラの時代から、おもしろいものがあればカメラを持って行ける、面白い仕掛けを自在に施すことができる時代になっていきます。
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80年代のテレビ番組の歴史について
テレビ番組が流れているお茶の間が当たり前になった80年代では「笑い」がとにかくテーマだったように思います。
そしてテレビ番組が常に挑戦を続けていたのもこの時代の特徴かもしれません。
テレビ番組で放送してはいけないものや言葉の規制が今のテレビ番組ほどきつくなく、
より自由に、時には過激にテレビ番組を作ることができていた時代だとも言えます。
だからこそ、この年代のテレビ番組に慣れている人は、今のテレビ番組の内容に物足りなさを感じてしまうところがるのかもしれませんね。
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