テレビ番組というのは何でも放送できるものではありません。
多くの方に見られる媒体であるマスメディアは、それを見てくれる方に誤解を与えるような表現が含まれないように、さまざまな配慮がされています。
放送のルールに関しては、別の記事でも詳しくまとめていますので、ぜひ参考にしてみてください!

例えば、人権を害するような表現を使ってはいけない、差別表現を含むような内容はいけない、といった内容です。
そして今回問題になっている放送法4条では以下のような内容が定義されています。
放送事業者は放送番組の編集にあたり
(1)公安及び善良な風俗を害しないこと
(2)政治的に公平であること
(3)報道は事実をまげないですること
(4)意見が対立する問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること
ここ最近特に問題とされているのは(2)の政治的に公平であること、という部分で、
この放送法4条を撤廃した方がいいんじゃないか、という検討が含まれる「放送制度改革」の内容なんですね。
かなり簡潔に言うと、この放送法4条が撤廃されてしまうと、政治的に公平であるということが求められなくなり、
政治の圧力によって番組の内容が変わってしまう恐れがあるということなのです。
そもそも放送法4条が出来た背景
この放送法が出来たのは1950年のことです。
テレビの放送に合わせて、作られたものなのですが、
そもそも放送というものが第二次世界大戦中に国民に対する宣伝の手段として使われたことがあったので、これを繰り返さないように、というので放送法が作られました。
今現在ウクライナの問題を見ているととてもよく分かりますが、
放送というのもまた、戦争のためのツールになってしまいます。
国が戦争をするために、放送という手段を使って、国民の感情を扇動する、ということが出来てしまうわけです。
国にとって都合が悪いことは報道せず、
国が戦争をしていることを正当化したり、相手国に非があるような表現をしたり。
どうしても放送というのは国民が受動的に情報を受け取るツールなので、国民が自主的に調べたり、情報を取りに行かないと真実に辿り着けない、というような状況になってしまいかねません。
社会主義国の場合は、そもそも情報を取りに行こうとしても、ネット上でアクセス出来るサイトが限られていたり、ダウンロードできないアプリがあったり、ということもあるわけです。
だからこそ、政治が放送の内容に関与するようなことがあってはならない、ということで、放送法が作られました。
放送の公平原則がなくなったアメリカでは分断も起きている
いかに放送法というものが大切なのか、ということがお分かりいただけたかと思います。
そんな放送法を撤廃してはどうか、という議論が今されているわけですね。
実はアメリカでは、この放送法にあたる「フェアネス・ドクトリン(公平原則)」と呼ばれるものが1987年に廃止されています。
フェアネス・ドクトリンが廃止された理由は、言論の自由の権利を定めた米国憲法修正第1条に抵触する、とされたからです。
つまり、自由な表現が出来なくなるから「公平な放送を心がける」というルールはなくてもいい、とされてしまったわけです。
なんだか少し、訳がわからなくなってきました笑
ではその結果どうなっているか、というと、
テレビ局によって支持する政党が異なり、どんどん両極化していっているのが現状なのです。
アメリカでは選挙シーズンになるとテレビCMで相手の政党の悪口を言いまくるCMがたくさん流れます。
えー!日本では信じられないです…
日本ではそんなCMは見たことがありませんし、不公平な表現がないように、また視聴者に誤解の与える内容にならないように、細心の注意が払われています。
テレビCMは誰でも放送できるわけではなく、きちんと考査という審査のようなものがあるんですね。
会社の登記情報なんかも確認されますし、科学的根拠を示すことができないようなことはCM内では言えないようになっています。
例えば占いなどはテレビCMでは取り扱うことができません。
表現の自由を優先してなんでもOKとしてしまうと、結局極端なものが増えてしまって、それが考え方の分断に繋がり、
ひいてはそれがさらに国民の分断にも繋がってしまう、というのがアメリカを見ているとよく分かります。
どんな表現ならできるか、は制作しながらの勉強
日本では本当に細かく放送できる内容や表現が決められています。
放送禁止用語もありますしね。

こういった内容は制作をしながら感覚で覚えていくしかありません。
時には失敗することもあるでしょうけど、最初からディレクターやプロデューサーをやるわけではありませんから、きっと周りのスタッフがフォローしてくれると思います。
だからこそ、アシスタントディレクターとして経験を積む、ということがとても大切なのです。
決められたルールの中で、最大限面白いと思うものを作っていく。これが使命です。
その決められたルールが根底から覆るかもしれない、というのが今回のお話ですので、ぜひその動向にも注目してみてください。
これからも、放送が誰かを傷つけるものではなく、楽しく前向きな気持ちになる放送であることを願っています。
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