私がテレビ業界にはいった1992年ころは、ディレクターやプロデューサーには、すぐキレる人、怒鳴る人、モノを投げつける人はザラにいました。
その当時はそれが当たり前でした。そういう人がいるのは、テレビ業界だけではなく、どんな会社にも存在していましたが、なぜかテレビ業界はこういう人がいる、というイメージがいまだに、根強くあります。
今は、こういう人はほとんどいなくなりました。
なぜいなくなったのか、を振り返ってみたいと思います。
見出し
ディレクターがキレるのは、ADが想定の動きをしてくれなかった時
ディレクターもプロデューサーも男性ばかりで、声がでかい人が多かった時代です。
いったん怒ったら、部屋中響くような声で怒鳴っていたものでした。
ディレクターがキレたり怒鳴ったりするシーンは、アシスタントディレクターが失敗したときです。
例えば、ロケで打ち合わせをしていたにも関わらず、小道具を忘れていたり、取材先に取材内容が伝わっていなかったり、カメラがまわっているときに横切ってしまうなど撮影の邪魔になったりとき。
こういうときに、「何やってんだー!!」と怒鳴ります。
関連記事:新人ADがきついと言われるのはなぜ?普通の仕事と違うポイント
プロデューサーがキレるのは、編集がおもしろくなかったとき
プロデューサーの場合は、プレビューしているときに感情爆発が起きがちです。
ディレクターが撮影して編集するのですが、ある程度まとまったところでプレビューと呼ばれる演出チェックをします。
そのプレビュー中に、プロデューサーが思い描いていたストーリーに当てはまっていなかったら、「お前、どういうつもりで、こんな繋ぎにしてるんだ!」と怒鳴ります。
それは、ディレクターに対しての怒りです。
当時のディレクター、プロデューサーはまさに昭和時代にキャリアをスタートさせた人たち。彼ら自身も、怒られて育ってきた世代です。
ディレクターはこういう映像を撮りたい、プロデューサーはこういう映像をみたい、と自分たちのイメージがあり、それに達していないと、感情が溢れてしまっていたのです。
関連記事:テレビ番組制作の「編集」はどれくらい期間をかけている?
キレる、怒鳴る人がいなくなった背景
当時のディレクターは、ADを教育する一環として、プロデューサーは自分の考えを伝える方法としてキレたり怒鳴ったりと、感情を露わにしていたのですが、下っ端ADとしては、いかに怒られないようにするか、を考えてしまいます。
ごまかしたり、誰かほかの人のせいにしたり、隠蔽したり、言い訳したり。姑息ではありますが、それも仕方ありません。
そうした自衛手段というのは、ADばかりではない、ということが起き始めます。
プロデューサーに怒鳴られないために、ディレクターも自衛するようになるのです。
プロデューサーが期待する映像を撮る。プロデューサーが期待する映像に編集する。と考える人も出てきます。
当時はドキュメンタリーが多かったのですが、山場になるようなことが起きないと、映像は平坦なものになってしまいます。
ディレクターがアクシデントを意図的に起こす、ということがありました。それは「やらせ」ということになります。
今でもネットで検索すると、いくつか出てきますが、それは氷山の一角で、「演出」という名のもとに行われていた、意図的なアクシデントは、かなりあったと思います。
そもそも、やらせと演出は明文化されていませんし、どこからがやらせで、どこまでが演出か、というボーダーダインもあやふやでした。
やらせが表ざたになりはじめたころは、それはやらせなのか、演出なのか、を調査するような内容でしたが、発覚して調査を繰り返すごとに、制作状況だったり、制作に関わる人たちの関係性についても調査が及ぶようになりました。
そこで、「プロデューサーに報告できない、相談できない」心理状態に注目された始めたのです。
関連記事:APになるには?仕事内容も解説
番組は何のため?誰のため?
テレビ番組は視聴者のためのものです。
制作者は、視聴者に伝えるメッセージを企画意図として、どう見せていくか、どんな仕掛けをしていくかを演出として考えていきます。
それが、プロデューサーに認めてもらうため、にすり替わってしまった。
確かに、そのプロデューサーが納得した番組は視聴率も高かった。局のプロデューサーは視聴率が評価の対象になっているところもありました。
今も視聴率は一つの評価基準ではありますが、当時は視聴率が全て、という意識だったと思います。
関連記事:番組が打ち切りになってしまうのはなぜ?テレビ業界の仕組み
怖いプロデューサーたちは引退していった
撮影するつもりだったことが、さまざまな原因で撮影することができない、ということはよくあります。
例えば、行列のシーン。いつもは行列ができるけど、その日はたまたま、少なかった。急に雨が降ってきて並ばなかった。近くの学校で行事があったり、お祭りなどがあって人がそちらに流れてしまった。など。
そういうことは、制作の責任でもありませんし、取材先の責任でもありません。
だけど、撮影できるはずで設定した日に撮影できなかった、という報告は気が重いのです。
プロデューサーによっては、語気荒く、「撮れるっていってたのに、どうして撮れないんだ!どうするんだ!」と言われると、その人とやり取りすることを考えるだけでストレスです。
こうしたストレスを起こしたくない、プロデューサーとの嫌なやりとりを回避したい、という積み重ねがやらせを引き寄せた一因と考えられるようになり、威圧感のあるプロデューサーは制作から離すようになっていきました。
ちょうどそのころには、プロデューサーたちも50代以上になっており、他部署へ移動したり、管理職へと昇進したりしていきました。
そして、その後任者は、一回り以上若い世代であり、前の悪しき習慣を変えるべく、全く違うキャラクターの人が抜擢されるようになりました。威圧感のないフレンドリーな人が増えていったように思います。
キレる、怒鳴るは、それを引き起こすADのせい、ではなく、ADの教育のためでもなく、自身の感情をコントロールできない人、ということが分かり、ADがディレクターやプロデューサーを評価する、という制度も採り入れられるようになったり、ADが相談できる窓口が設置されたりしました。
キレる怒鳴る人が活躍していた時代から30年経って、当時の人たちは全て卒業しましたし、その次の世代の人たちも、番組制作からは移動していきました。もはや、現役で活躍中のプロデューサーたちは、そんなキャラクターの人たちがいた、というのは話の上でしか知らないでしょう。
なので、今ではほとんど、キレる怒鳴る人はいなくなったというわけです。
関連記事:ADの採用、どんなところを見ている?
それでもいなくならないのは…?
それでも、たまに、います。
テレビ番組は、限られた時間でやらなければならないことが多く、間違った内容が放送されることはあってはならないのです。
正しい情報を放送することが重圧のときもあります。そうした切羽詰まったときには、感情を抑えることができない、ときもあります。
そうしたシーンにたまたま出くわしてしまって、尻込みしてしまう新人は多いです。たまたまそうしたシーンが重なってしまうこともあります。
プロデューサーやディレクターはいい人ばかりだけど、先輩ADが怖いというときがあります。
2年目3年目のADは、一般の会社でいうと中間管理職にあたります。
自分に任されている仕事が増え、ディレクターとしてのチャンスもどんどん与えられて、いっぱいいっぱいな状況なのに、後輩の教育もしなくてはなりません。
しかも、自分自身は社会に出て2,3年目。人間的に成熟していない年代です。彼らの言い分は、「あれもこれもやらなくてはならないのに、出来ないADを任された。」
自分だって、1年前2年前は同じ立場であったにもかかわらず、そう言っちゃうんですね。
これは、どんなところにも必ずいる人たちなので、どう折り合いをつけていくか、を考えたり、相談したりしながら、見つけていくしかありません。
嫌になることもありますが、先輩たちも一所懸命やっているだけなのです。それも、お互いに成長していけば、なくなると割り切りましょう。全ての先輩ADが、そういう人ではないはずです。
関連記事:ADの仕事で辛いと感じる理由をキャリアの長さごとに考えよう
